マーベル・スタジオ制作のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のドラマ「ミズ・マーベル」のプロデューサー兼ヘッドライターを務めたビシャ・K・アリさんが、海外メディア Variety とのインタビューの中で、クランデスティンについて多くのことが描ききれなかったと語りました。
番組のフィナーレについて質問されたアリさんは「たくさんの事を見逃してしまいました。クランデスティン、ヌールディメンション、レッドダガーズ、そしてそれらがどのように他のものと結びついているかについて書いたエッセイがあるんです。しかし新型コロナウイルスによって変化した状況下で、限られた時間の中でこの作品を作るために、2つの異なる種類の家族の間の類似点を見逃したのだと思います。クランデスティン家のキャラクター開発についても、ずいぶん見逃してしまったと思います。もっと見せてあげたかったですね。」と語りました。
そして5話のカマラとナジマの戦いについて「あの感情的なクライマックスは、2人の女性、異なる種類の母親、そして彼女の家族の代表であるカマラについての物語でした。そして、その2つが完全にぶつかり合うんです。あの瞬間は、カマラが常にディフェンシブなファイトスタイルになった時でした。彼女はいつも最初に相手を言い負かすんです。彼女の目標はいつも、『ねえ、気分はどう?誰も傷つくことなく解決できるかな?』というものです。それはフィナーレでも見られます。だから、宇宙がヌールに飲み込まれるような出来事は起きないように、常にそのように組み立てられていました。」と述べています。
また、カマラ・カーンがジンだったという秘密について、言葉通りの意味ではないと説明しました。
「”彼らはジンではない “ということは言っておく必要があります。第4話では、(ワリードが)あからさまに『ジンじゃない』とも言っています。イスラム圏全体を語ることはできませんが、私の育った環境では、何か変なことが起きると、いつも『ああ、ジンの仕業か』という感じでした。誰かが奇妙な行動をとると、それはジンの仕業だと決めつけられていたようなものです。確かにパキスタンでは、超自然的なもの、私たちの説明がつかないものについては、このように話します。何世代にもわたってそうだったんです。」と現地における比喩表現のひとつであることを補足しました。
そして、「もうひとつは、第3話で、ナジマがカマラに、人々は私たちをジンと呼ぶと言ったとき、それは(カマラにとって)最悪のことでした。それは、感情的には悪夢なのです。それがきっかけで、彼女は『スーパーヒーローにはなれない』と言い出します。なぜなら、文化的にジンには否定的な意味合いがあるからです。私たちが追い求めているのは、まさにそこなのです。」と解説しました。
「ミズ・マーベル」はハリウッドでほとんど触れられることはなかった差別問題や歴史について描写する野心的な作品であり、主人公カマラ・カーンとその家族や友人、コミュニティに対してしっかりと言及してきました。
一方でヴィランとして登場したクランデスティンの背景はほとんど見えて来ませんでした。ナジマは2話のラストでカマラを助け、3話冒頭では故郷に帰るための協力を願います。しかし同じ3話内で「待っている余裕がない」と焦りだし、カマラと激突、ヌールディメンションから追放された理由も明かされませんでした。
故郷に帰るためにカマラの力が必要ではなく腕輪だけで良かったのであれば、3話冒頭のカムランの家でクランデスティン全員でカマラを押さえつけて奪っていれば済んでいましたし、カマラの力が不可欠なのであれば結婚式場の襲撃は悪手以外のなにものでもありませんでした。
そして5話ではクランデスティンの望み通り腕輪の力で帰るためのゲートである「ヴェール」が開いたにも関わらず、触れれば死ぬという奇妙な結末が待っていました。これは3話冒頭で腕輪を回収した過去のシーンで「もしもイギリス兵が追ってきていなかったら」あの時点でクランデスティンが全滅していたのではないかと想像させてしまいます。
カマラ・カーンがジンではなくミュータントである可能性が示唆されて終わったシーズン1ですが、ヌールディメンションやクランデスティンの真実について、今後描かれることはあるのでしょうか?
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